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オーケストラでいえば指揮者。いいタクトを振るのが私の使命。愛野グループ 総料理長 小橋秀樹

僕をフレンチの虜にしたあの出会い、この出会い。

料理人になろうと思ったのは、子どもの頃のことです。僕は小さな頃からおばあちゃんっ子だったのですが、その祖母が当時にしてはハイカラな人で、パンを焼いたり、ケーキを作ったり、珍しい料理をいろいろ作ってくれました。僕はそれをよく手伝っていたし、手先も器用だったので、小学校の家庭科では率先して実習を仕切るタイプでしたね。料理人になりたいという想いもその当時からいつしか芽生えてきたものでした。

高校を卒業後は調理師学校に通い、料理人の世界に入ったのですが、フランス料理に目覚めたのは30代に入ってからのことです。僕らの時代の調理師学校はフランス料理やイタリア料理といった分類が無く、和・洋・中の3コースだけだったんですよ。僕は洋食コースでオムライスやカニクリームコロッケ、ハンバーグといったいわゆる洋食屋の料理を学び、浜松市内のホテルの厨房に入りました。当時は20代だったのでいっぱい遊んだし、仕事に対しては今ほど真剣ではなかったように思います。ただ、いずれはホテルの最上階にあるメインダイニングで働きたいという想いがあったので、数年後に社内のコンクールに応募して優勝し、念願の最上階のフレンチレストランで働くことができるようになりました。

そのレストランで先輩からいろいろなことを教わっているうちに、どんどんフランス料理の虜になっていき、料理に関する本を読みあさりました。僕は元々勉強が嫌いでしたが、本当に好きなものと出会うと、覚えようとは思わなくても自然と頭に入ってくるものですね。だから、僕の今ある知識の多くはその当時吸収したものです。

そんな頃、店にフランスから本場の料理人がやってきて、1か月ほど一緒に仕事をすることになりました。当時の僕は30歳で、フランス人の彼は25歳でしたが、片言の日本語と英語、フランス語で会話を重ね、いろいろなことを教わりました。自分がフランス料理について抱いていたさまざまな疑問に対する答え合わせができたのでスッキリしましたね。

フランス人って集中力がすごくて、普段はふざけていても料理をつくるとなると人が変わるんですよ。彼から大きな影響を受けたこの時期が、自分の最初の変革期だったと思います。フランス人の料理人が帰国してしばらく後、ホテルに新しいシェフがやってきました。そのシェフは東京の有名な三ツ星レストランなどで活躍した経歴を持つ優秀な料理人でした。そのシェフに教わったことで一番印象的だったのは、人間としての立ち振る舞い、例えば「料理人のステータスを上げたければ、出勤の際にも他の会社員のようにネクタイを締めてきなさい」というようなことでした。そのシェフと出会わなければ多分僕は今ここで仕事ができていないと思うし、スタッフたちにアドバイスもできないんじゃないかと思いますね。本当に僕は人との出会いに恵まれていると思います。

その後、ザ・ハウス愛野のシェフとして働き始めたわけですが、最初は少し戸惑いを感じました。なぜなら、ザ・ハウス愛野は結婚式場であって、フランス料理を食べたくてご来店されるお客様に料理を提供する店ではないからです。それに、年齢層も好みもできるだけ幅広いお客様に美味しく召し上がっていただくにはどうしたらいいかについても悩みました。その結果、例えば醤油や味噌を使って味わいやテイストを工夫するなど、日本人の味覚に合ったものをほりさげて一つのお皿にするようになりました。でも、これはなにも珍しいことではありません。フランスでは日本食が何十年も前からブームなので、料理に醤油や味噌を使うのは今や当たり前のことなんです。しいたけや昆布、カツオの出汁なども多くの三ツ星レストランで使われています。

プライドがなければ、美味しい料理はつくれない。

料理人としてのプライドは、もちろんあります。ただ、難しいのは、昔から料理人というのはプライドがどうしてもマスターベーションになりがちな面があると思うのです。しかし、プライドや誇りがなければ美味しい料理は作れないというのは確かです。自分の根幹にあるフレンチというベースは揺るぎないもの、今はそれに和風やスパニッシュ系のアレンジを新たに加えていくことで、新しい味わいづくりに挑戦しています。料理人として新しい味を追求するには、常に視野を広く持ち、情報をキャッチできる柔軟性と探究心を持ち続けることが必要だと思います。

僕はマニアといってもいいぐらい料理好きですが、料理とは全く無縁なものでも自分の料理に結びつけるアンテナが自然と働きます。例えば、僕は現在電車で浜松に通っているのですが、駅周辺のビルの喧騒や、行き交う人々のお洒落な出で立ちなどから、今までにない刺激を受けています。スタイリッシュなものに対するアンテナが高くなってきたことが、料理にも少なからず影響を与えている気がしますね。料理って「味わい」はもちろんですが、「ファーストインプレッション」というか、見た目のインパクトやデザイン性も非常に大切なんです。それを婚礼料理に落とし込むのはなかなか難しいことですが、愛野グループの「誇り」にかけて、お客様をあっと言わせるような料理を創作したいという想いは常にあります。

料理人は、プラス方向に感動を追求するアーティスト。

僕は料理人としての自分を「アーティスト」だと思っています。同じアーティストでも、画家やミュージシャンは悲しみや苦しみといったマイナスのイメージを表現することで人々の共感を得ることができますよね。でも、我々料理人はプラスのイメージでしかお客様を喜ばせることができない。だから、たとえ自分自身が悲しい体験をしたり、テンションが上がらない時があったとしても、常に笑顔でお客様に接することが料理人としての使命だと思うし、スタッフにもそう教えています。

結婚式当日の料理人の仕事は、決められたことを決められた通りにやる、ただそれに尽きます。例えば、料理の温度や提供するタイミング、お皿に魚を盛りつける方向などの細部に至るまで、すべて決められた通りにやる。それを統括するのが料理長としての仕事です。料理長はオーケストラでいうと指揮者にあたります。オーケストラの中にさまざまな楽器演奏者がいるように、キッチンにもさまざまなスタッフがいて、しかも、経験の浅いスタッフからベテランスタッフまで、どのスタッフにも上手に言葉を伝えていかなければなりません。決められた通りにやるということを教え込むだけでもなかなか大変なことです。

すべてを決められた通りにこなしてこそ、お客様を喜ばせられる料理をご提供できるのです。そこは譲れない部分です。

出勤時の身なりにもこだわりが肝心。

日本の料理界は職人の世界ですから、俺の仕事を見て覚えろという風潮があって、基本的に何も教えないんです。僕らもそうやって教わってきたんですが、フランス料理はそれとは全く違います。フランス国内では料理人の職位が高いので、収入もいいし、ステータスもある。その点、日本はまだまだです。だから僕がホテル時代にシェフから教わったように、若いスタッフたちに普段から「出勤時に一般企業の人たちと同等のクオリティで来るように」と言い聞かせています。

それに、今後は料理人としてだけでなく、もっと一社会人としてのモチベーションや生き方自体のクオリティも高めていく必要があるのだという話もします。これまでにそういうことまで言う人は少なく、若干煙たがられてはいますが(笑)、そこを変えていかなければ料理人の地位がいつまでたっても向上せず、料理人になりたいという若者も出てこないと思います。

どの方角から登っても、頂上を極めれば通じあう。

料理人としての一生を30年のスパンで考えると、最初の10年は見習い期間、次の10年は自分の料理をつくり込む期間、そして、最後の10年は人を育てる期間だという言葉を、昔の偉大なフレンチシェフは残しています。今の僕は自分の料理をまだ完成させていませんが、最後の10年にもあたるので、それを並行して取り組んでいるような感じです。

実際に、人を育てるというのは非常に大変なことだと思います。社長からよく「部下は自分の子どもだと思え」と言われるのですが、それにはすごく共感できます。反抗期もあるし、叱らなければならない時もあるし、褒めなければいけない時もありますから。

料理というのは結婚式において非常に大事な役割を担います。愛野グループとして次代の料理人を育成することは必要不可欠ですし、僕自身も料理人の集大成として今後はさらに育成・指導に力を入れていきたいと思っています。また、料理以外のプランナーやサービスのスタッフも最近は若い世代が増えてきたので、部門の垣根を超えて社会人としての常識やお客様への接し方などいろいろなことを教えていかなければならないという自覚があります。

よく店長とも話すのですが、例えば、営業を極めた人と料理を極めた人とではジャンルは違ってもそんなに話が食い違うことはないんですよ。それは山を登るのと同じで、いろんな角度から登っても頂上の神髄は対人間である限り変わらないということです。だから、愛野グループはそれぞれの道を極めた人たちの集まりでありたいと思いますね。

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